「人それぞれ」という言葉の違和感

 ぼくは、話し方が断定的だとよく言われます。それは、中学生くらいの時から親にも言われていて、今でもよく言われるのですが、注意しているから昔よりは少し落ち着いたと思います。

 今日、友達と喋っていて、そんな話になったのですが、その中に「人それぞれ」というキーワードが出てきました。寝たいんだけど、そのキーワードがどうしても頭から離れず、寝れないのでこのことを書きたいと思います。

 そもそも、なぜ「人それぞれ」という話になったかというと、ぼくは前出の通り、断定的に話してしまうのですが、たまたま友達Aに体験から話をしたことが、友達伝いで友達Aが「やべっちの話してたことは人それぞれだよね。」という意見で、「断定的に話すから偏った人間だと思われるよ。」と言っていたという話を今日もらったのです。

 どんなに自分が「黒だ!」と思っても他人が「黒じゃない」と思えば黒じゃないわけで、確かに断定的に話をするということはまずいなぁと反省しました。実際に先日も50代のとある方に、「人の土俵に裸足で踏み込んだ。」などとお叱りをいただきました。自分の感覚ではオッケーだと判断したのですが、年代や年が違えば考えも違うわけなので、よくよく考えたら理解できたことだったし、反省しています。

 そんなで、断定的に話をするのはまずいし、勝手に相手のプライベートまでいきなり踏み込むのはコミュニケーション上もよくないので、そこは今後は気をつけながら、人と接しようと思います。まぁこれは逆に言ってしまえば、人懐っこいということなのかも知れませんが、もう少し上手にやりたいと思います。

 ただ、「人それぞれ」という言葉には非常に違和感を覚えるのです。(友達の発言云々ではなく、現代の流れ的に。)人間は経験や体験、見たこと、感じたこと、本で読んだこと、感心したこと、感じたことしか話すことができないと思っています。その経験や体験を「人それぞれ」と言ってしまったら、それで終わりではないでしょうか?

 確かに考え方は千差万別で「人それぞれ」あるわけですが、「人それぞれ」「個性」という言葉によって、他人の考え方や理解をしなくてもいいという流れに向かっているのかな?という気がしました。

 つまり、「人それぞれ」「個性」は確かに大切だし、ぼくみたいに決め付けて話をするのはよくありません。しかし、「人それぞれ」という言葉の裏に「自分には関係ない」という言葉が隠れている気がするのです。つまり、他人の意見を「人それぞれ」といってしまうことによって、他人の素敵な経験談、体験談を自分のものにするチャンスを逃している気がぼくにはするのです。

 ぼくの場合、人が話してくれたことに対して「その考え方は人それぞれだ」と感じたことはないと思っています。というのは、「きっと人が話してくれたことは、その人が何かして得たものから発した言葉であり、そのことはいつか自分に関係するかも知れないし、その考え方は自分の世界が広がる考え方だ。」と思っているからです。だから、たとえその考え方が自分と違っても「そういう考えや世界があるのね。」としか思いません。だって、「人それぞれ」ですから。

 つまり、ぼくの考える「人それぞれ」とは、その人の立場や考え方を理解しようとし、なぜこの人は「このようなことを言ったのか?」と理解しようとするから、お互いをより理解できるわけで、理解しようとすることこそが「人それぞれ」ということだと思うのです。

 「人それぞれ」という言葉の裏に他人の考えを受け入れない気持ちがないでしょうか?他人と接することのめんどくささが浮かんでいないでしょうか?「個性」という言葉で自分の殻に閉じこもっていないでしょうか?

 「人それぞれ」「個性」という言葉の意味をもう一度ぼくは考え直したいと思います。

 

投稿者: やべっち : 2004年12月13日 04:40 |


コメント
言葉の受け止め方というのも、それこそ「人それぞれ」だね(笑

たくさんの人がいて、皆様個々に歩いてきた道があって、
またそれぞれに未来があるわけで、同じ道なんてひとつもない。
当然そこからは「違った価値観」も「違ったものの見方」も
それから「似通った境遇」や「同じ意見」も生まれてくるわけだ。

自分と違う「価値観」のすべてを許容することなんてきっと出来ないよね。
子供にとっては宝物が、母親にとってはゴミであったりするように
立場が変われば価値観が違うって案外当然のことだったりするわけで。

それでも、「相手の価値観を理解しようと思う気持ち」は
大事に持っているべきなのではないかと思います。

投稿者:しゃの♪ : 2004年12月13日 10:38

「人それぞれ」っていう言葉は意識せずに使ってしまっています。
色々な考えがあることを自分に言い聞かせるために使っているような。
わたしも割と断定的に話をします。そのうち「あれ?」って思って、
「あー、でもまぁみんないろいろだとは思うけどさー」ってフォローを入れたりして。
むずかしいよね。自己主張ってどのくらいの範囲していいのかわからないし。

投稿者:愛世 : 2004年12月13日 13:46

■ しゃの♪さん

> それでも、「相手の価値観を理解しようと思う気持ち」は
> 大事に持っているべきなのではないかと思います。

賛成でーすヽ( ´ ∇ ` )ノ

■ 愛世さん

> 自己主張ってどのくらいの範囲していいのかわからないし。

 ぼくは、自己主張はどんどんした方がいいと思います。ただし、やっぱりTPOは理解しないとダメだと思います。まぁそれが難しいのかもしれませんが。

 しかし、どんどん自己主張をしないと「この場合は自己主張したらまずい」などTPOを理解できないわけで、「自分自身が過去よりどれくらい自分にとっての挑戦をしたのか」を基準に、どんどん自己主張してほしいと思います。自己主張してまずかった場合は、いろんな人が教えてくれて、助けてくれますよ☆

 失敗は若いうちだし、若いと許してくれる人も多いです♪経験済みなので大丈夫。(笑)

投稿者:やべっち  : 2004年12月13日 21:21

やべっちが「人それぞれ」って言われたのは、断定的な発言をした結果、
相手を追い込んでしまったからかもしれないよ。

ある物事を白と断定することは、黒や赤と考える人たちを否定することになる。
それなりの理由や経緯があって黒や赤と考えている訳だから、いきなり白と
決めつけられたら、自分が間違っているような気持ちになって不愉快になるの
も否めない。そうしたら自分を正当化するために『人それぞれの考え方で、
自分は間違っていない、むしろ向こうが偏っているんだ』と思いたくなるのも
無理はないと思う。

断定的な発言をすること自体が偏っているということにはつながらいと思う
けど、断定した意図がしっかり理解されていなければ、偏っていると思われて
それで終わってしまうと思う。相手のシチュエーションを考慮し、必要な
説明をした上で断定すべきだと僕は思います。

投稿者:simon : 2004年12月14日 01:10

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矢辺卓哉(やべっち)

田舎で農業・電気通信工事士、東京で障害者雇用支援という田舎・東京を行き来する生活をしながら、エネルギーの地産地消、環境負荷の低い・企業だけに頼らない生き方を模索中。株式会社よりよく生きるプロジェクト代表取締役

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