組織の閉塞感をぶち破る方法

 今回書くことは、組織の閉塞感をぶち破る方法についてだ。

 これを書こうと思ったのは、最近たまたま見つけたり、聞いたりした全く関連のなさそうな2つのことが、実は組織の閉塞感に密接に関わっていることに気がついたからだ。

 その全く関連のなさそうなことの1つは、「閉塞感を破るための組織論」に関する2つの記事。2つ目は、同僚から教えてもらった「オバマのような演説を日本人が出来ない理由」だ。

 1つ目のことから書いていこう。Twitterでもつぶやいたのだが、最近は仕事をする中で、下記のようなことを考えている。

会社を経営するとは、お金が安定的に入ることにより醸成される社員の安定志向と、チャレンジングな気持ちを持ち続けることとのせめぎあいなのではないか。

 なぜ、そう思ったかと言うと、組織とは、何もせずにほって置くと、社員は自分の目の前のことだけを考えるようになる。そして、他の事業部、他のチーム、他の社員に関心を持たなくなる。それにより、お客様へ本当に必要なサービスを考え続けられなくなるのではないか、ということを感じたからだ。

 そんなことを考えていると、たまたま2つの記事を見つけた。1つ目の記事は、コーチA「優秀と言われる組織が、過った方向へ進むとき」。2つ目の記事は、「経営教育の未来 研修現場からの可能性を探る」(2009.10.28)第3回:環境適応は罪だ。

 1つ目の記事の「優秀と言われる組織が、過った方向へ進むとき」の中で、私が注目するのは下記の文章だ。

菊澤氏は、合理性が失敗に向かう理由のひとつとして、
人は機会があればスキがあれば、利己的利益を追求していく、
弱い一面を持っていることをあげています。
 「全体最適」よりも「部分最適」、
 「長期的利益」よりも「短期的利益」、
 「組織の効率」よりも「自分の効率」を優先させてしまうことで
失敗の可能性が高まるわけです。 したがって、組織が前進、成長していく上で大切なことは、
いかに自分を超え、部門を超え、組織全体という視点で物事を見れるのか
ということになってきます。

 非常に面白いポイントだと思う。人は弱くて、ほって置くと目先のことを考えしまう人間であるという主張は、私が感じた点とまったく同じことだ。こんな風に「部分最適」や「自分の効率」を突き詰めて考えていったのが、今の政治ではないだろうか。まぁこれは余談だが。

 そして、2つ目の記事、「経営教育の未来 研修現場からの可能性を探る」(2009.10.28)第3回:環境適応は罪で、私が非常に共感したのは、下記の点。

縦割り組織とは、専門化、分業化の進んだ組織である。
専門化、分業化すれば、担当する領域が限られ、組織全体が見えにくくなる。(中略)その結果、責任範囲を越えて何かに取り組むことのハードルが高くなる。
全体が見えにくくなるとどうなるか。(中略)決められたことは行えるが、結果や全体における役割を考える機会が減る。全体最適を考える必要がなくなる。その帰結として、ビジネスについてぼんやりとした画素の粗い状態でしか考えられなくなる。「思考の粗さ」だ。
責任範囲が限定されるとどうなるか。サイロとサイロの間に落ちそうなものは拾わなくなる。そんなポテンヒットを前に聞こえてくる声は「(自分には)関係ない」。自分がやらなくても誰かがやってくれるだろうと思う。さらに、下手をすれば互いに足を引っ張り合う。組織全体ではなく自分さえ良ければ、という意識である。自分が組織の最後、しんがりではないのだ。「当事者意識の低さ」だ。
責任範囲を越えることの難易度が高まるとどうなるか。仮に責任範囲を越えずに何か取り組んだとしても、全体が見えないために組織全体としての結果がわかりにくくなる。そうなると、何かを成し遂げたとしても、組織として「できた!」と実感する機会が減る。組織において、諦めずに「やればできる」と踏ん張る力が低下する。「可能性への信頼の弱さ」だ。

 この記事も非常におもしろい。2つの記事に共通していることは、目の前のことだけにこだわると、全体が見えなくなる。このことをそれぞれの記事では、「人はほっておくと利己的利益に走る」「放っておくと人間は否応なく環境に適応する。そしてそこに安住してしまう。」と言っている。2つの記事共に、冒頭の私の問題意識と同じだ。

 この問題に関しては、やはり社員はほっておくと安定志向に走ってしまうことを理解し、閉塞感をぶち破るには、常にチャレンジングな状態に持っていく必要があると思うのだ。それではチャレンジングな状態に持っていくにはどうしたらよいか?

 それは、記事の中にもあるが、常々「我々は何のために存在するのか?」「何のために働くのか?」と全体視点で考え続け、自分たちの存在意義、価値と現状を見比べ、その差に歴然としながらも前向きに働くことで、常にチャレンジングな状態でいれると私は思う。これまでが冒頭のTwitterでのつぶやきで伝えたかった事だ。

 そして、組織の閉塞感をぶち破る記事を書くきっかけになった2つ目の「オバマのような演説を日本人が出来ない理由」について。オバマ演説を日本人ができない理由は下記の通りだそうだ。

日本には有るべき姿の国民的合意がないから、というのが答えです。
アメリカ人は建国の理念が国民全員に共有されています。
しかし、日本の建国理念ってどこにあるのか、知っていますか?日本(人)とは何か?に対して国民的合意はないのです。
歴史的に中国からみたら日本なんて辺境地で、都度、お伺いをたてながら、好き勝手に政治をやっていたんですね。
日本人の物差しは常に「○○は世界標準だから導入しなければならない」という他社との比較で成立してきたのです。 だから世界にキャッチアップすることは得意ですけれど、自ら世界標準を作ろうとすると、急に思考停止なるのです。

 つまり、我々日本人は「何のために存在しているのか?」「何のために生きているのか?」を歴史上あまり考えてくることがなかったのだろう。そのため、共通認識を作ることが得意ではなく、あるべき姿を考えることが上手ではないのではないだろうか。

 そろそろまとめに入ろう。

 先に述べたようにチャレンジングな状態を作り続けるのは、「常々『我々は何のために存在するのか?』『何のために働くのか?』を考え続け、自分たちの存在意義と現状を見比べ、その差に歴然としながらも前向きに働くこと」と述べた。

 しかし、オバマのような演説を日本人ができない理由にあるように、そもそも日本人は、「何のために存在しているのか?」「何のために生きているのか?」を歴史上あまり考えてくることがなかった民族なのだ。

 つまり、組織を活性化させるためには、あるべき姿を創造しなくてはならないにも関わらず、日本人はそれを考えることを歴史上学んでこなかったことが現代の組織が閉塞感がある理由なのではないだろうか。だからこそ、私は「企業こそ理念が大切である」と考えているし、政治家は「ビジョンを語ってほしい」と常々思っている。

 組織の閉塞感をぶち破る方法。それは、「我々は何のために存在するのか?」「何のために働くのか?」を考え、そのあるべき姿であるそれらの答えと現実とのギャップに歴然としながらも、仕事を通じて、自分の目の前の仕事から、視野を広げ、少しでもあるべき姿に近づくことこそ、組織の閉塞感をぶち破る方法だと私は信じて疑わない。

 しかし、そもそもこのような経験を歴史上、日本人は行っていないのだ。だからこそ、みんな戸惑っているのだろう。

 しかし、このように閉塞感をぶち破る意識を醸成できる経営者、リーダーを現場社員は望んでいると思う。そして、現場社員もあるべき姿に向かって、自分の目の前の仕事だけではなく、目線を高く持って、「他人は関係ない」ではなく、どうやったら理想に近づくのかという視点から仕事をする必要がある。

 そんな積み重ねが不景気を吹き飛ばし、日本の元気を作るのではないだろうか。自分もその一員でありたいと思う。

前後の記事

トラックバック(0)

コメントする

Movable Type, OpenID, LiveJournal, Vox, TypePad, Yahoo!, Yahoo!JAPAN, ライブドア, AIM, はてな, mixi, WordPress にアカウントをお持ちの方は、入力を楽にするために、

自己紹介


矢辺卓哉(やべっち)

田舎で農業・電気通信工事士、東京で障害者雇用支援という田舎・東京を行き来する生活をしながら、エネルギーの地産地消、環境負荷の低い・企業だけに頼らない生き方を模索中。株式会社よりよく生きるプロジェクト代表取締役

「人生を味わいつくせる人を増やす」がミッション。

私が考えるノーマライゼーションについて

障害の表記について

facebook


月別 アーカイブ

OpenID対応しています OpenIDについて
障害者活躍白書バナー

つぶやき


最近のコメント

障害者雇用のニュース共有と今後の展望について
  • pari : 12/07/29
  • やべっち : 12/07/30
  • とら : 13/04/02
全国の障害者手帳所持数について
  • 美優子 : 12/08/02
  • やべっち : 12/08/06
精神障害者雇用の義務化に「?」
  • gionnsyouzya : 12/06/27
福祉労働の今後に必要なこと
  • 智太郎 : 11/12/06
  • やべっち : 11/12/06
厚生労働省 平成23年6月1日現在の障害者雇用状況の集計結果から考えたいこと
  • ジョブサポーター派遣事業だより : 11/12/01

最近のトラックバック