いきすぎた経済は人間のつながりを壊す - バス落下事故からぼくらの生き方を改めて考えたい

行きすぎた経済は人間のつながりを壊す。人間のつながりさえサービスが行き渡り(家事は家事代行、介護は介護ヘルパー、育児はベビーシッターなど)、お金さえあれば腐れ縁なく人とつながらなくても生きていけるから。

しかし、人とつながらなくても良くなったことで、晩婚化や少子化、DV、離婚増、老老介護、孤独死が増えている。

また、生活全般がお金を払ってサービスを受けるとなると、お金を稼げない人は一気に生活が貧しくなる。お金の有無がQOLに直結する時代になってしまったのです。

このような人のつながりが薄れ、お金の有無がQOLに直結する社会を、もうちょっとあったかい社会にしていくためには、このような行きすぎた経済から"ほどほどの経済"にしていく必要(もちろん、受けるべきヘルパーは受けるべきだが)があると考えます。

"ほどほどの経済"とは、"早い・安い・便利"は怪しいと思うことです。"早い・安い・便利"は誰かの犠牲の上に成り立っていると考えることです。

済人類学を提唱したポランニーは、市場経済で消費の自由を謳歌する消費者は、価格さえ支払えば入手できる財やサービスが、直接には目に見えない多数の人間の「労苦や労働の危険、病気や悲劇的事故という犠牲を払って得られる、という事実が存在しないかのような錯覚に簡単に陥る」とも書いています。

■自由とは責任を伴うもの
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2016/01/post-14c8.html


そして、自由を謳歌できるようになった現代、"早い・安い・便利"にはリスクがあることへの関心が極端に鈍くなってきている気がします。

お金さえあれば自由にサービスを選べるようになった(お金がなければサービス【給食でさえ】を受けることさえできず自己肯定感を持てない)一方、"早い・安い・便利"を選ぶことは責任が伴うことがごそっと今の現代人に抜け落ちている気がします。

今回のバス転落事故も行きすぎた経済の結果であり、我々生活者が自由には責任が伴うことを忘れた結果だと思います。

今我々がなすべきことは、"早い・安い・便利"は強いては自分の身を滅ぼすと認識し、人が関わることは適正な対価を支払うことだと思います。ほどほどの経済を実現するためにはそれしかないと思う。

とはいえ、自分もお金がなかった頃があるためよくわかります。人は急に"早い・安い・便利"を辞めることはできません。自分だってできるだけ安く買いたいと思う。ですから、ほどほどの経済に急に転換するとは思えません。

しかし、今の経済のままでは良い社会だとは思えません。そのような社会の転換がハードランディング(戦争や金融危機など)で起こるのか、それともソフトランディングとして我々の意識が少しづつ変わっていくのか。私にはその予測ができません。

社会はどうなっていくのでしょうか。でも、まずは自分から。今はそれしかないと考えています。

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矢辺卓哉(やべっち)

田舎で農業・電気通信工事士、東京で障害者雇用支援という田舎・東京を行き来する生活をしながら、エネルギーの地産地消、環境負荷の低い・企業だけに頼らない生き方を模索中。株式会社よりよく生きるプロジェクト代表取締役

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