私が参政党支持を辞めるとき。

生まれてはじめて選挙ポスターを貼った。

「任せて文句をたれる」ではなく「引き受けて考える」。そういう大人でありたいし、その大切さを子どもに背中で伝えたい。

自分が会社経営する中で、「おかしいと思ったこと」「社員や世の中のみんなのためになること」に気付いたのであれば、どうにかできるように引き受けて考える。その結論が、参政党を支援すると言うことだった。

私の短い人生経験の中で、参政党は信頼に足る政党だと感じた。神谷さんの話はタウンミーティングで2回聞いた。細かい点は変わっているが長い間、根本の訴えは変わっていない。三宅洋平さん以来「そうそう、政治でそれを言ってほしい・実現してほしい」という内容を言ってくれた。

その参政党は、妨害にあいながらも、250の地方支部に150名の地方議員を誕生させるなど、着実に確実に進んできた。

全国の小選挙区に候補者を擁立した。特に地方では、「失われた40年を作った自民・公明」「本気で政権を取る気のない立憲をはじめとする野党」しかなかったところに、第3の選択肢として、参政党は燦然と輝きを持って登場した。

本気で国民の選択肢になろうとしている。

その政策についてよく「右」と言われるが、私は参政党の政策は、右左で分けられるものではなく、「日本人ファースト」だと言っている。国民ありきと言ってもいいかもしれない。

今までの政治家が、支援団体を後ろ盾にした発言、党の公認がほしい・選挙に当選したいだけの日和見政策しか打ち出していなかった。そこに参政党と言う「日本人ファースト」の第3の選択肢ができた。

それは、国民に支持されて当然である。この熱狂を、「任せて文句をたれる」ような冷めた目で見ている人はカルトや宗教に見えるだろう。一方で、「引き受けて考える」人が、同じ志・思いを持って集まり、利他の気持ちで動いた時の力は、「任せて文句をたれる」人々からすると信じられない奇跡を起こす。我々はその奇跡を追体験しているのだ。

参政党の活動をすると言うことは、私にとって免罪符なのです。

私は、田舎の資産のある家庭に生まれ、何不自由なく大学まで行きました。長男であるにも関わらず、親は特に何を言うでもなかったため、東京では自由を謳歌し、個人の利益の最大化に勤しみました。国家や家族、そう言うことを蔑ろにしてきました。テレビ報道のままに何も考えず、「憲法9条は変えてはならない」と言う論調を採用していました。

ある時、実家に帰った際、「過去帳」と言うものを見せてもらいました。過去帳とは、お寺さんに書いてもらう先祖の名前や生年月日、命日、戒名が記載されているものです。

その過去帳を見たときに私は涙が止まりませんでした。今の私が何不自由なく暮らせているのは、ご先祖様がいてくれたからだ。なんと私は、個人の自由を優先し、個人の利益のことばかり考え行動してきたのか。そんな浅はかな自分のあり方を大いに反省しました。

その考えから、祖先を大切にし、今を生きる。そして、その祖先の皆さんが守ってきてくれた日本、作り上げてきた日本の文化を守りたいと思うようになりました。

過去の私と同じように、今の日本は「今だけ・金だけ・自分だけ」の個人の自由や利益を優先するような社会になってしまい、ご先祖様が築いてきた素晴らしい日本文化を破壊してきました。西洋・アメリカ文化に染まりすぎました。だからこそ、今の日本には国家や家族を優先する参政党が必要なのです。

選択的夫婦別姓の議論を聞いていると、結局、過去の私と同じように、「アイデンティティ」に名前を変えた個人の自由や利益を追求する個人主義と日本文化や家族を優先する「公共主義」との対立に感じる。

確かに個人の自由や利益は大切です。しかし、日本はそれに振りすぎた。改めて、ご先祖様が守ってきてくれた、作り上げてきた日本の文化を守る「公共主義」に振り戻さないといけない。

私が参政党支持を辞めるとき。

「公共主義」に日本が振り過ぎて、個人主義が蔑ろにされたとき。そのときに、参政党が本当に日本人に大切なことを訴える「日本人ファースト」なのか試される時が来るのだろう。

そのときに、参政党が「公共主義」を掲げ続けるのであれば、私は参政党の支持を辞める。

それがいつ来るのか。私が死ぬまでに来るのか、それはわからない。
まぁ先の話は置いておいて。

さぁ、選挙に行こう。

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