地域活動に参加する理由

先日、地域でとんどさんが開かれたので参加してきた。

とんどさんとは、よくわからないけど、去年のお守りや破魔弓などを焼く地域行事である。

同じタイミングで家を建てたお宅が8軒あるのだが、参加したのはうちを含め3軒のみ。

また、来年度から地域の班長をすることになった。

こういう地域活動をめんどくさいと思う人も最近は多いようだが、私は積極的に参加したいと思っているので、その理由を少し書いてみたいと思う。

2011年の東日本大震災の時にこんな話をきいた。

東北のある地方でガソリンスタンドを営む夫婦がいた。もし何かあっても困らないように、その夫婦はガソリンを備蓄していた。そのため他の全国チェーンのガソリンスタンドより価格が高かったらしい。他の全国チェーンのガソリンスタンドは、常にガソリンを配送して、備蓄しないようにしていたため、価格が安かったようだ。

また、同じ地域に酒屋を営む夫婦がいた。こちらも地域にお酒を提供しているが、大量仕入れをする大型スーパーには価格では敵わない。

このガソリンスタンドと酒屋の夫婦はお互いが顔が見える関係ということもあり、少し高くてもお互いガソリン、お酒を買いあっていたとのこと。

そして起きた東日本大震災。

この夫婦が経営するガソリンスタンドにはガソリンを求める車の長蛇の列。他の全国チェーンのガソリンスタンドは在庫をもたないことで低価格を実現していたが、地震で物流網が破壊されたためガソリンの輸送ができず、ガソリンが売り切れてしまい、ガソリンを備蓄していた夫婦のガソリンスタンドに多くの人が集まったのである。

そんな折にやってきた、酒屋を営む夫婦。いつも少し高い金額でも買っていたため、ガソリンスタンドの夫婦が酒屋の夫婦を優先させて給油したそう。そうすると列を作っていた人たちからクレームが飛んだそうです。

こんな感じで燃えていく。

このエピソードからわかるように、非常時のことを考えずに安さを享受しているにも関わらず、非常時になると自分の権利を主張する。そんな人間にならない人間関係・助け合える地域が作れるか。そのために地域活動に参加したいと思っている。

ただし、地域活動に参加すれば、非常時に助けてもらえると言う損得勘定で地域活動に参加するのは違うと思う。浅はかな損得勘定はすぐ見抜かれるし、そういう人間は非常時にこそ頼りにならない。

確かに、ネットで買えば人に会わずとも便利に暮らせる時代です。しかし、その便利さによって、これまで買いてきたように犠牲にしているものがあるのではないでしょうか。逆に言えば、不便さ・めんどくさいものからから得ているものもあるのです。

めんどくさい顔が見える関係を作り、「あの人であれば、何かあれば助けてあげたい」とお互い思えるような関係をどう作れるか?

そういう関係を作っていくことで自分が住む地域を災害・非常時に強く、人が関わり合う豊かな地域にしたい。それが、私が地域活動に参加する理由です。

子どもの話

今日、子どもの幼稚園の発表会があった。

我が子は、隣で泣いている子が気になったのかずっと横を向いていた。

家では大ハッスルをして、名前を呼べば返事をするし、音楽をかければ踊り出す我が子が、名前を呼ばれても、手をあげたり、「はーい」と言うこともなく、全く踊ることもなく、発表会が終わった。

そんな我が子の様子を見て、私はとても安心した。

他の子どもは名前を呼ばれて「はーい」と行ったり、音楽に合わせて踊っている子どももいたにも関わらず。

それが最初は言葉では説明できなかったが、この動画を見て言語化できた。

日本の「大人になる」とは、周りを参照し、空気を読み、周りと合わせられるようになることだということが、大人になること。

じゃあ、日本において、自由な人間とは、空気を読まない、あるいは読めない人である。

これは、東京でよく感じたことで、発達障害的な目線で言うところの空気が読めない企業で生きていけない人が起業して成功している姿をよく見た。私はその姿をみながら、自分が相手に合わせて、空気を読む部分を多分に感じていたため、この人たちには勝てないなーと感じていた。ある種の自分のノーマルさを突きつけられたというか。

また、障害者支援をしているときも感じていたことだが、発達障害認定をされる境界線は、社会に溶け込めるか・溶け込めないか。

ADHDが強くても、周りが面白いやつだと包摂されれば、障害ではないし、周りから迷惑なやつだと思えば、発達障害認定される。

つまり、環境によって発達障害であるかどうかが決まる。そして、発達障害認定が増えたということは、日本社会の劣化(表層的なノイズに弱くなり不寛容になった)ということになるのであろう。

ここからの方法論は2つで、他の人ができることで、できないことがあることを問題視し合理的配慮をする不寛容な集団に合理的配慮を求めるかそのような集団から離れるチャレンジをするか。

子どもがもし集団に馴染めなかったとしても、集団から離れるチャレンジを応援したい。もしくは、大人として他の人ができないことを包括できる組織を見つけ出すか作るかである。

企業を運営するものとしては、他の人ができないことを包括できる組織を見つけ出すか作ることを改めて目指したいと思った。デコとボコが補い合う関係を作りたい。

我が子よ!引き続き、空気を読むな!周りが踊っているから自分も踊ろうと周りに合わせようとするな。どんな状況でも自分がやりたいこと、正しいと思うこと、自分が思うように生きろ!

できないことを沢山持っていることが才能である。お父さんはできることを増やそうとしてきた平凡な人間だ。お父さんの過ちを繰り返してはいけない。

それでもし、集団から排除されるようなことがあれば、そんな成熟度の低い劣化した集団はこちらから願い下げである。そして、お父さんができないことを包括できる組織を見つけるか作るよ。

安心して、引き続き、一生懸命のびのびと生きていこうぜ!

追伸1:

「危険だから行かない方がいいよ」「え?だったらおれは行くぜ」みたいな奴がある程度いるからその集団が残ってきた。横並びに安心する、劣化した若い人たちにあってはものすごく大事にしなければならない特性。

自分は、「え?だったらおれは行くぜ」という人間だった。しかし、今の仕事は事故を起こしてはいけないから「危険だから行かない方がいいよ」が重要視される。

「危険だから行かない方がいいよ」の人間だけでは、動画内であったように組織は生存できない。なので、「危険だから行かない方がいいよ」と「え?だったらおれは行くぜ」との関係性をもう少し明らかにして、社員のメンタリティとしてどうあるべきかは考えたい。

追伸2:

日本は、子供は楽園を生きていて、大人になると楽園を捨てて、世間・法・しがらみを参照して、分相応に生きるのが大人になること。

欧米は、子供は不完全な大人であると認識されているために、しっかり躾をしなければいけない。躾における親の権威が重要視される。

だから、日本人の子どもは大人になりたくない、欧米の子どもは早く大人になりたいと言うこともが多い。欧米において大人になるということは、不完全ではない大人になるということだから、自由に自律的に生きることを意味している。

私も早く大人になりたい子どもだった。子どもにも早く大人になりたいと思ってもらえるように育てていきたい。大人になることは楽しいことだぞ!

出生率を高めるには?

最近、社長として色々な方面から話を聞き、残業数減、男性社員育休取得などを考えている。そもそもそうしないといけないのはなんでだっけ?と考えると、長時間労働は人間辞めたくなる、出生率の低下の原因などなどらしい。

長時間労働による過労死や自殺はもってのほかなので、それは減らさないといけない。ただ、お金が必要で働きたい人、キャリアを身につけたい若い人の労働時間を制限する必要はあるのだろうか?ちょっとそこはまだ結論は出ていないが、確かにあまりにも多い労働時間は是正すべきだと思う。

んで、本題にしたいのは出生率について。出生率を高めるなら、残業減や育休取得も効果あるんだろうけど、それ以上に、育児に関わる大人の手を増やさないと無理だと思う。

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