「こんな夜更けにバナナかよの世界」講演会に参加しました。

 先日、「こんな夜更けにバナナかよの世界」に参加しました。「こんな夜更けにバナナかよの世界」の講演会とは、「こんな夜更けにバナナかよ」の著者、渡辺一史さんが講演していただけるという会でした。

 話の内容は、「こんな夜更けにバナナかよ」をまとめたような感じで、非常におもしろかったし、非常に考えさせられました。


 特に、考えさせられたのは、性介助についてです。オランダでは、障害のある人に対して、性サービス(マスターベーションやセックスなど)を行なう、「SAR」というサービスがあったりするということであるが、日本では、障害のある人が性なんてタブーだ!という雰囲気があるのは、否めない。しかし、「こんな夜更けにバナナかよ」の鹿野さんという筋ジストロフィーの人は、マスターベーション介助をボランティアにしてもらっていたらしい。(さすがに女性ボラにはしてもらってなかったらしいが。)

 これには、賛否両論あると思うが、ボランティア本人がやってもいいということであれば、それはそれでいいと思う。(ちなみに、ぼくはできないと思う。)しかし、それだけ、鹿野さんとボランティアの関係が強固であるという証拠であると思う。そして、河合香織さんが「セックスボランティア」(新潮社)という本で、障害のある人の性について書いているらしいので、今度読んでみたいと思います。

 あとは、おもしろかった点などをピックアップします。

■ なぜ、障害のある人と介護者の間で対立が起こるのか?
被介助者:介護を受けるのは当然の権利だ!
介護者:困った人を助けたい。
つまり、両者の視点にずれがあるから。

■ なぜ、ボランティアをするのか?

障害のない人間だって生きるのが大変→「いいことをしている。」という感覚のボランティアで埋め合わせをしたがる。

■ 強固な関係を作るには?
憎しみと愛情は裏返しである。憎しみと愛情が強固な関係を作る。

■ 自立生活とは?=他人介助の可能性

・施設・・・被介助者
・親元・・・息子、娘
・自立・・・(車椅子などを使って街を歩くということが)社会運動、人生の先輩、教師の可能性
つまり、自立ということは、他人介助の可能性があることである。しかし、それによって、社会運動になったり、接することによって、人生の先輩や教師になるという、「被介助者と介助者」という視点ではない関係作りが可能になるということである。

■ ボランティアの種類
・社会変革型ボランティア・・・社会を変えてやる!
・自分探し型ボランティア・・・自分探しをしたい。
・サークル活動型ボランティア・・・軽いノリ、障害の壁が低い。
最近の若い人は、サークル型ボランティアが増えている。ボランティアは、障害に対する壁が低いことによって、何か可能性があるのではないか?

■ 自己決定権
自分の人生をどうしたいかを自分で決める。→できないことは他人が決めればいい。まずは、意見を聞こう。

■ ワガママとは?
介助者は、「よかれ」と思うことをやる。それは、被介助者としては受身である。「よかれ」と思ってやったことが、「No!」といわれることは、介助者から見たら、ワガママであるが、障害のある人は、それが自我である。その対立がワガママの境目ではないだろうか?

 以上、講演会でメモしたことです。何かの参考になればと思います。ちなみに、これは、渡辺さんの話から自分が思ったことも含まれており、すべて渡辺さんが言ったことではないということも、付け加えておきます。その講演会のあと、飲み会で個人的に、渡辺さんに「こんな夜更けにバナナかよ」の本で出ていた、興味深いデータについて、出典を聞くことができました。そのうち、このサイトでも出していきたいと思っています。また、この日は、朝まで飲んでました・・・(苦笑)

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