この騒動でデキビジというテレビ番組があったのをはじめて知りましたが、このデキビジの勝間氏VSひろゆき氏の対談がおもしろいと、ネットで話題になっています。youtubeのコメントやTwitterを見ていると、大概は、勝間氏の評価が下がり、ひろゆき氏の評価が上がっている傾向がありますので、このコミュニケーションを客観的立場から、勝間氏がどのようなコミュニケーションをとればよかったのか、コミュニケーションの達人である(と思っている)、私が解説していきましょう。
まずは、youtube動画をご覧くださいな。(下記以外にもその2、その3がありますので、時間があれば全て見てみてください。)
※5/6追記:動画が削除されてしまったようです。このあたりの動画を見れば雰囲気はつかめるでしょう。
まず見てほしいのは、2分8秒、9秒あたりの勝間氏の発言。
「そんなことないですよ」
一見、これだけ取り出すと何の変哲もない言葉ですが、これ問題。全体を聞いてもらえるとわかるかもしれませんが、勝間氏は自分の考え方が絶対的に正しい、こうでなければならないと思っているから、相手を説き伏せようとしている。だから、
「そんなことないですよ」
という発言が出る。では、どんな発言をしなくてはいけないのか。私だったら、こう言います。
「なるほど」
理解していなくてもいったんは理解している振りをします。で、考えます。「この人の言いたいことはなんだろう」と。それでも答えが出ないのであれば、「なぜそう思うのですか?」「私とあなたの意見の違いは何だと思いますか?」と質問します。
これがコミュニケーションというもんでしょう。コミュニケーションとは相互理解。相手の言動、発言に対し、「なぜそう考えるのか」という背景を理解していくことでお互いの考え方、価値観をすり合わせ、お互いを理解しあう。これこそコミュニケーションの真髄だと思うのです。
このコミュニケーションは、自分の意見を正しいと思い込んでいる人や自信がある人に往々にして起こりがちな傾向です。(これをカツマーコミュニケーションと呼ぼう)
自分の意見が正しいと思うから、相手の意見が聞けない、理解しようとしない、説得しようとする。これは組織の成績を出して、上にあがったビジネスマンにも起こりがちなコミュニケーションです。こういう人が組織を壊してしまう。
今のご時世、ビジネススピードは格段に上がっています。自分の成功体験が必ずこれからも成功するとは限らない。また、自分と部下は同じではない。だからこそ、相手の意見や言動の背景を理解するコミュニケーションが大切なんです。だから、カツマーコミュニケーションは組織を滅ぼすんです。
正直、勝間氏の将来を心配しちゃうわ。。。
それはさておき、次。3分18秒あたり。
「違います」
違うって。意見が違うのは当たり前です。言うのであれば、「誤解です」という風に私なら言うかな。意見が違うことを「違う」って言ってしまうのは、残念ながら自分が正しいと思っているから。解説は上と同じ。
次。3分25秒。もう突っ込みどころがありすぎるので最後にします。
「ダメだこれ」
対談で呼んでるのに失礼にも程がある。ひろゆき氏、大人でしたね。議論しているのにも関わらず、「ダメ」とはなんでしょう。自分の許容範囲を超えてしまったのでしょう。それを「ダメ」と表現し、理解しようとしないのが、カツマーコミュニケーションのクオリティー。
まぁ、もちろんひろゆき氏も最後の方は遊んでいる感じで、理解し合おうとは思っていないでしょうし、「はなから理解しあう必要があるのか」と考えているのかも知れませんが、少し大人気ないことは確かです。しかし、それが彼の良いところでもあります。だから、勝間氏がこの結果を意図していなければ、人選ミスとしかいいようがないでしょう。(逆にこの結果を意図してたらすごいけど)
総じて言うと、双方大人気ないのですが、ひろゆき氏はもともとそういう人だと考えると、完全に人選ミスで勝間氏の評価が下がるのはしょうがないと思うんです。しかし、まぁ何はともあれ、評価が下がると思われるのに放送した勝間氏もすごいと思うがw
ということで、今日のおさらい。
■コミュニケーションで大切なこと
1.自分の意見が絶対ではないという大前提に立つこと
2.相手の発言、言動の背景を知る 「なぜそう言うのか」
3.背景から相手の価値観を知る 「だからこう言うのね」
以上3つをまずクリアすること。この3つをクリアするとコミュニケーションの土壌が整います。議論はそこからしないと絶対に噛み合わない。皆さんも、カツマーコミュニケーションをしないように気をつけましょう!
※5/6追記:今回の1件について、勝間氏がお詫びをブログに掲載しました。私は逃げずに非難を矢面に立って受け止めようとする、勝間氏の姿勢に共感しました。お詫びを掲載せず、嵐が過ぎ去るのを待つこともできたはずです。しかし、彼女はそれをしなかった。起こってしまったことはどうしようもない。しかし、それを真摯に受け止め、改善しようとする姿勢こそ、尊いと私は思っています。