鳩山首相が辞任をした。「鳩山首相の所信表明演説はもっと評価されていいと思う理由」というエントリーを書いたこともあり、本当に残念である。
首相の退陣表明演説(原文・動画)を見ても、間違ったことは何一つ言っていない。本当にそうなったらいいと思うことを言っている。本当に残念だ。この1件は、今に始まったことではない、日本の未来を憂う事象を象徴している。思うところを少しずつ述べていきたい。
まず何のために政治を行っているか?ということである。今回の辞任は、次回選挙対策なんだろう。次回の選挙を見据えたとき、支持率が大幅に下がっていることを懸念する声が党内であったのではないか。しかし、政治とは国民のために行うものであり、選挙に当選するために政治を行うのではない。
そして、支持率低下を煽るマスコミも問題である。鳩山氏は、「新しい公共円卓会議」(リンク先はUstream)を実施し、NPOを中心とした官主導ではない、新しい公共、国民が主役の日本を実現すべく、動いていた。
実際に、Twitterで、自殺対策支援に取り組むライフリンク代表の清水氏は、
実際に日本の自殺対策は、鳩山総理と福島前大臣の下で大きく前進した。自殺が多い3月を対策強化月間に定めて集中的に啓発を展開し、警察庁に埋もれていた自殺統計を使って自殺リスクの要因分析をはじめて行った。「たかがそんなこと」ができなかったこれまでを、一変させた功績は大きい。
と述べている。また、病児保育NPOのフローレンスの代表である駒崎氏は、
志半ばで去らなくてはならなくなった鳩山総理。彼がいたから、「新しい公共」政策をスタートできた。寄付税制改革(税額控除)も彼のひと押しによって、固い岩盤を突破できた。しかし、これでまた振り出しに戻るのか・・・。底知れぬ徒労感・・・。
と述べている。まったくこのような報道をすることなく、支持率の低下や普天間の問題だけを取り上げるマスコミに悪意を感じざるを得ない。
また、我々も問題である。支持率の低下というイメージだけで総理を評価し、判断する。もちろん支持率をひとつの指標として見るのはかまわない。しかし、本当に総理が行ったことを自分の目で見て、聞いて、感じて、自分の頭で情報を処理することが大切だ。自分で見て、感じていないことを言葉のイメージ通りに受け取り、右から左に流すのは愚の骨頂である。
つまり、政治もマスコミも国民も思考停止状態であり、誰も自分の頭で考えていない。なんとなく、今までの慣例だったから、今までこうだったから、と生きているのではないかと思わざるを得ない。
以上のように、鳩山氏の理想はよかったし、行動力もあった。大人の社会科の鳩山総理辞任を「官僚の勝利」として読み解く(このリンクはぜひ読んでほしい。政治と官僚との戦いがよくわかります)とまったく私は同意見である。
鳩山は断じて愚か者ではない。能力も、決して低くはなかった。ぶつかった問題が大きすぎ、官僚の抵抗を少しだけ甘く見たのだろう。
鳩山氏に打算はなく、本当に誠実な人だったと思う。彼が理想として描いたものは間違いではない。日本の問題があまりにも彼一人でぶつかるには大きすぎる問題だったのだ。
この鳩山氏の辞任の1件から我々は何を考えるべきかをしっかり振り返り、今後同じような問題を起こしてはならない。
だから、まず今回の1件を国民一人ひとりが自分の頭で考えることが大切だ。そして、自分の意見を持つことだ。他人任せにはしてはいけない。
そして、少しでも日本をよくするという気持ちを持って行動すること。行動すると体験する。体験すると問題意識が生まれる。その問題意識こそ、一人一人が主体となって、日本を変えるきっかけになる。これが鳩山氏が我々に残してくれたものではないでしょうか。
最後に退陣演説から1文を引用して、終わりにします。
子どもに優しい、未来に魅力のある日本に変えていこう。
その私たちの判断は決して間違っていない。
6/3追記:
twitterを徘徊していたら、感動的なブログを発見しました。
雁屋哲の美味しんぼ日記
敵を間違えるな
鳩山氏が戦っていた相手、日本とアメリカの関係がよくわかります。必ず読んでほしい。
そして、私はこれを読んで、大きな問題解決にチャレンジした鳩山氏を本当にリスペクトする。誰も彼を非難する権利はないし、してはならない。なぜならば、日本の問題は大きく根深い。だからこそ、我々一人ひとりが立ち上がり、みんなで解決していく必要があるからだ。日本は、1人のリーダーが解決できないほどの問題を抱えているのです。
だから、今回の1件を鳩山氏が毎月1500万円もらってたからブレたとか、個人の問題にするのではなく、チャレンジした人が「なぜブレたのか?」「なぜ迷走したのか?」を日本全体の構造問題として捉えなくちゃいけないのではないでしょうか。
そして、私は、同じ日本人として、彼が大きな問題に1人で立ち向かっているという、彼の置かれている立場・真意を理解できなかった事を恥じ、一緒に汗をかかなかった事を今は後悔しています。