28歳の決意表明

 もう2週間前になりましたが、8月7日で28歳になりました。お祝いいただいた皆様、誠にありがとうございました。なお、プレゼントとお祝いは年中受け付けておりますので、時期が遅れたからなどと恥ずかしがらずに、ぜひお送りください。泣いて喜びます。

 さて、それはさておき、誰も知りたくないと思いますが、勝手に簡単に28歳の決意表明をします。

 決意表明の前に、私の年齢について思うことをまず書いていきます。

 私の好きな歴史人に、皆さんご存知、坂本龍馬がおります。もともともちろん坂本龍馬の存在は知っておりましたが、具体的に何をした人かはアホなので知りませんでした。そんな折、社会人3年目頃に同僚に薦められて、初めて読んだのが、「龍馬がいく」でした。

 その「龍馬がいく」で人生で一番好きな言葉に出会います。それは、

 「世に生を得るは、事を成すにあり」

 という言葉でした。知らない人のためにこの言葉の私なりの解釈をお伝えすると、「人は生まれた理由があり、その理由を実現するためにこの世の中に生を授かった」と私は考えています。(この言葉はあまりにも好きすぎて、ペンダントに英訳して刻印するくらい好きです)。

 そんな坂本龍馬ですが、実は28歳から33歳の5年間に薩長同盟や大政奉還の土台を作るなどの大仕事を実現させます。私も実は坂本龍馬が事を成し始めた28歳という年齢になったのです。

 私も坂本龍馬のように、今年の28歳から33歳の5年間は、明日死んでもいいように、日本をよりよくできる事を成す5年間にしたいのです。残念ながら、坂本龍馬のように日本全体を変えるということは、このご時世大変難しいと思います。でも、「障害者」という分野から、少しでもよりよい日本を実現するために貢献したいのです。

 それでは、「障害者」という分野で私は何をやるのか。それは、障害のある人の支援を社会の広がりにすることです。私は大学時代からの問題意識として、障害のある人の問題が環境問題や少子高齢化などの社会問題と同じようになぜ論じられないのか、という単純な疑問がありました。

 障害のある人は日本の総人口で換算すると20ー30名に1人は何かしらの障害があることになります。単純計算ですが、学校の1クラスに1名はいる計算になります。

 にも関わらず、障害のある人の問題はこれまで取り上げられないのか。それは、障害のある人が声をあげられないという問題もあるが、それよりも何よりも、支援する側が目の前の困っている障害のある人を助けるだけで精一杯になっていることではないでしょうか。

 社会問題を解決するためには、目の前の困っている人を助けるという当事者視点も大切ですが、それだけではなく、社会全体の問題としてどう捉えるかというマクロの視点を持つというバランスが大切です。

 しかし、障害のある人は生活すること、生きることなどの目の前の生活が問題となりやすい。だから、目の前の困っている人を助けるという当事者視点にいきがちなのです。

 以上の事から、障害のある人の問題で言うと、「この社会全体の問題として、障害のある人の問題をどう捉えるのか」という視点を持つ支援者が少ないと感じています。

 だから、私は障害のある人の支援を社会全体の広がりにしたいのです。そのためには、障害のないと言われる人であっても障害をもつ可能性があること、自分の子供が障害をもつ可能性があること、日本には多様性があまりないこと、それにより、一部の人たちが大変生き辛い状況が生み出されていること、障害のある人が生きがいを感じられれば、誰もが生きがいを感じられる世の中であること、などなど、こんな価値観を世の中の広がりにしていきたいのです。

 これは、ある団体だけの力で成り立つものではありません。今ある団体、支援者それぞれが横でつながり、情報を共有、開示すること。もしくは障害のない人が関係する団体とシナジーが生まれるかもしれません。こんな今ある日本の社会リソースをつなぎ合わせて、障害のある人が生きがいを感じられる日本を実現する必要があります。

 私はそんな橋渡し役になりたいのです。そして、誰もが日本に生まれてよかった。日本サイコー!など思ってもらいたいのです。

 28歳の今年はその第1歩にするのです。明日死んでもいい毎日を送る。これを心に刻み、坂本龍馬と同じように5年間を1日1日大切にかつ全力疾走したいと思います。これが私の28歳の決意表明です。

 さぁやるぞ!!!

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