会社のブログに書いた記事をこちらにも転記します。
こんにちは。よりよく生きるプロジェクトの矢辺です。
突然ですが、今日は、この1年活動してきて見えてきた私の夢をお伝えします。
タイトルで、障害者が”いない”と書きましたが、”いない”というのは、排除するとか、存在させないということではありません。どう表現していいかわかりませんが、”感じない”という感じでしょうか。
長くなりますがお話します。
私は、ここ1年、生活・しごと∞わかもの相談室という内閣府のモデル事業の相談室で、就職相談をメインに働いています。この相談室には、生きづらさを抱えた若者を中心とした方が来所されます。
私が担当させていただいた方の中には、何年も就職活動しても就職できないという方などが多くいらっしゃっています。そういう方と相談を重ねていくと何かしらの障害(知的・発達)を抱えていることがわかってきます。
その場合は、”障害者手帳”の取得の話を進めると落ち込むことがあるので慎重に進めながら、障害者手帳を取得するメリット、デメリットを伝え、ご本人(場合によってはご両親も含めて)に最終判断をお任せします。
手帳取得を進める苦々しさ
その結果、障害者手帳を取得された方が1名、手帳取得に向かっている方が1名いらっしゃいます。その他にも障害者手帳を取得できそうな方もいらっしゃいます。また、他の相談員が障害者手帳を取得する支援をしていることが数多くあります。
障害者手帳を取得すれば、様々な福祉リソースが使えます。例えば、就労支援センターや就労移行支援事業に通えるようになったり、公共交通機関も割引になったりします。そういう意味では、ご本人の幅も広がりますし、障害者手帳を取得したことで、人生が進んだ方がいらっしゃるのも事実です。
しかし、私は障害者手帳の取得を自分が勧めたり、他の相談員が障害者手帳の取得を勧めているのを聞くと、苦々しい思いをします。
知的障害の手帳取得の基準は、IQ70以下です。地域によっては、IQ85以下かつ発達障害があれば、知的障害の手帳が取得できる地域もあります。
これが常識なのですが、よくよく考えると、IQ70とは何でしょうか。なぜIQ70なのでしょうか。発達障害も調べれば調べるほど、私にもその要素があることを非常に感じます。
知的障害や発達障害があることで、生きづらさや”普通”と違うことがあります。だから支援をしなくてはいけないというのはよく理解できます。
ある一定ラインで障害者と認定する理由
IQ70以下の理由は、”普通”ではないラインだからでしょう。IQ70以下だと、一般社会で生活する上で不都合を起こしてしまう基準なのだと思います。だからこそ、このラインで障害者と認定するのです。精神障害、発達障害も一定ラインで障害者と認定されます。
このように、ここ1年働いて、障害者手帳が必要な仕組みに世の中ができあがっているということを痛烈に感じました。
IQ70や発達障害というのは、誰かが一定ラインで線を引いて、一般社会から”適合できない”と烙印を押したもの。だから支援をしなくてはいけない。だから、その証明に、障害者手帳を出すという仕組みなのです。
私はこの仕組みに薄々気付いていたから、苦々しさを感じていたのでしょう。つまり、一般社会から”適合できない”人は、障害者手帳を発行する(だからこそ、精神障害者手帳は最近増えているのだとも思います)。その上で、適合できていないから支援をする。
これでは、支援する・されるという構造は変わりません。これでは、本当に障害者と健常者の差は埋まりません。これは私が思い描く理想ではありません。
理想は障害者手帳が必要のない社会
そう考えたときに、私の理想は、障害者手帳の必要のない社会です。一般社会との”適合”が必要ない社会です。健常者と差があるから支援するという必要がない社会です。お互いがお互いを尊重し、誰もが自分のできることで貢献する社会です。
このような社会を作るためにどうすれば良いのかこの1年で見えてきました。それは、「地域でみんなで協力しあいながら自給自足モデルの社会を作ること」でした。
実際に、このような事例があります。
ある人が会社で働いていたが、役所から送られてくる書類が全く理解できなかった。そのため、会社の人に書類を見せて、必要な手続きを教えてもらって、役所で手続きしていた。
この方は、おそらく知的障害がある人だと思います。しかし、周りの人がフォローをすれば、障害が障害でなくなるということは往々にして起こるのです。
また、我々は、相手を「障害者だ」と思うから気構えてしまうことも往々にしてあります。ありのままに相手を受け入れ、隣人として支援ができることが一番のベストです。そのためには、隣人として接することができる限界の範囲である「地域コミュニティ」が理想です。
そして、現在の豊かさを享受しながら、自給自足に近い生活モデルを実現することが必要です。自給自足だからと言って、以前の生活レベルに戻るのではなく、科学とうまく調和していく生き方です。生命の維持や命を守る上で、不可欠な科学は使い、それ以外は贅沢をしない。
そして、なるべく自分の食べ物は自分で作る。そうすれば、生活費、固定費は最小限に抑えられるはずです。
このような「地域でみんなで協力しあいながら自給自足モデルの社会」こそが、障害者が”いない”社会であり、私の夢です。
これからやること
この私の夢を考えたときに、私には素晴らしいリソースがあることがわかりました。それは、鳥取県米子市の実家でした。
私の近い人には、「3年後に実家に帰る」と言っていますが、実はこの夢を実現したいというのが理由です。私の実家は、畑・田んぼがあり、まさに自給自足の生活モデルを実現する上で、非常に潤沢なリソースがあります。しかも田舎だし。
この場所を中心に、「地域でみんなで協力しあいながら自給自足モデルの社会」を作っていく。これが私の夢です。
ですから、実家に帰る残り3年間は、この社会を作っていくための人脈、ネットワーク、土台作りの3年間にします。
全ての出来事の意味
私には、知的障害のある妹がいます。知的障害のある妹がいる意味とは、まさにこのような社会を実現するために存在してくれているのではないかと思うのです。また、東京に住むにあたって、実家が東京にあれば固定費が浮くのに…と思ったことは一度二度ではありません。
しかし、全ての出来事には意味があるのです。私の起きた出来事を全て踏まえても、この夢が私にとってのやりたいことであり、夢です。こじつけと思われるかもしれません。こじつけでも良いのです。自分がそう思っていれば。
この夢に向かって、今日も前進して参ります。この夢にご興味をお持ちいただいた方はぜひご連絡下さい。一緒に何かやりましょう!