おれが昔ガキだった頃

 にこにこKIDSという子育て支援サイトに「おれが昔ガキの頃」という企画でやべっちを紹介していただきました。こちら。これで、やべっちのことが少しはわかるかと。(笑)
 そこにお話させていただいたはた坊さんの取材後記がありました。

双子の妹さんは障害者ということだが、東京に出てくるまで「障害」という言葉を意識しないほど、家庭ではごく自然と障害者である妹さんたちと接していた。そして、それは何よりもお母さんがそういう意識で子育てをしていたからだとご本人は語ってくれた。大学を卒業したら、世の中から「障害」という言葉をなくすためのNPOを起ち上げたいと瞳をキラキラ輝かせていた。

 これを見て、ちょっと言い過ぎたのかなぁと思った。確かに、今考えると、両親は妹の障害ということで苦労を見せなかったということは感じる。しかし、妹が障害者と言われるのはかなり抵抗があるが、「障害」を全く感じなかったのかというとそういうことはない。「障害=やっぱりできないんだなぁ」というイメージをより持ってほしくないので、このサイトではあまり書かないようにしていたのですが、やっぱり、妹が障害を持っているということを全く意識しないということはありえなかったわけです。
 例えば、外に出た時に、ほんの少しのことで、すねたり、そこから動かなくなったり、怒ったり。外見は普通なので、すねて泣いていたりすると、「なぜ、こんな大きな子が泣いているのか?」という目で見られることもありました。今でも、お子様ランチみたいなものを頼んだりして(頼まないとすねる。)、一緒にいて恥ずかしい思いをしたりする。(でも、妹はこれでいいんだ、という思いもあるが。)
 また、家の中においては、高校生にもなって、ポケモンだったり遊戯王であったり、低年齢化が目立つ。機械をわからず使い、壊すこともある。ぼくが高校生の時は、言うことを聞かないので、怒ったり、喧嘩したりもした。
 障害のある子ども達と触れ合うときもそう思うが、やっぱり「障害」は「障害」なのである。何が普通かはよくわからないが、普通でないことは確かである。やっぱり、「障害」とは何かしらの違和感を感じるものなのかもしれない。
 ただ、だからといって、何もしないで、手をこまねいているわけにはいかない。障害があろうとも、やりたい職業につき、きちんと仕事に対する対価をもらえるはずだ。もっと障害のある人が認められてもよいのではないか?
 こんな社会に対してぼくができることは何だろうか?
 ぼくが何かできることはないのだろうか?
 そんなことを「おれが昔ガキだった頃」を思い出しながら、思いをはせている。はた坊さん、素敵な企画を誠にありがとうございました。

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