人間を分けて考えるということ

 ぼくの大学の学部に4年生で車椅子で学校に登校している人がいます。ぼくは直接知り合いではないんだけど、車椅子で学校に登校している人はその人しか見たことないし、ちょっとした有名人です。

 で、友達からこんなことを聞いた。「その車椅子の人が企業に就職をしたいけど、『障害者』というくくりで採用されることがむかつくと言っていた。」と。本人とすれば、車椅子に乗っているだけで、他は他の人と何も遜色はない。企業側とすれば、障害者雇用促進法※があって、「障害」をもった人を雇用しなくてはいけない。そうすると、「障害」をもった人は当然「障害者」雇用になってしまう。「障害」をもった人の雇用を促進するための法で、自尊心を傷つけられている人もいる。なんと本末転倒か。そして、その雇用率さえ守られていない現状である。(しかも、障害をもった人を雇用すると給付金も与えられる。おかしな話である。)

 それは何が原因かと考えれば、やはり人間を分けて考えるという観点があり社会的にもその風潮が認められているということでしょう。その風潮をなくしていくために、ぼくらができることというのは、ぼくがいつも言っていますが、まずは「障害者」という言葉をなくしていこう。ということ。

 だから、ぼくは『「障害」のある人』と読んだり、書いたりしています。(それでも、嫌です。)しかし、世の中には、何と「障害者」という言葉が溢れていることか。「障害者」という言葉がなくなったときこそが、その社会風潮がなくなった時だしノーマライゼーション社会の実現だと思います。これを読んでくれた方々は、まずは、日々「障害者」という言葉を極力使わないように意識してほしいと思います。

 ※障害者雇用促進法:「障害」をもった人の雇用を促進するため常用就労者56人以上いる会社の事業者に対し「障害」をもった人の雇用率1.8%を義務付ける法律。現在の実雇用率は1.49%(平成13年度)である。その背景には、未達成企業も納付金という「お金さえ払えば、「障害」をもった人を雇用しなくてもいい」という感覚から抜けないからという会社もあれば、「どう雇えばいいかわからない。」という会社もあれば「その法律自体しらない。」という会社もある。

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