「知的障害」を知ろうセミナーに参加しました。

 「知的障害を知ろう」というセミナーに参加しました。非常に資料も揃っており、よいセミナーでした。講師の山本氏は、30年間東京都の福祉センターで知的障害のある人の就労支援を行なっておられました。送り出した生徒の数は、300名以上。その経験から放たれる言葉は、ひしひしとぼくらの心に伝わってきました。

 その中で、伝えておきたいことを書きたいと思います。

「知的障害のある人人は異なったニーズをもつ特別な集団と考えられるべきではなく、その通常の人間的なニーズを充たすのに特別な困難を持つ普通の市民と考えられるべきである」

支援者が「知的障害はこういう傾向がある」と一時的特性を受け止めながら、二次的特性を引き起こさないように支援や配慮の仕方を工夫したり、環境を整えることが必要。二次特性とは、失敗した経験から自信がなくなったりしてしまうことです。

 そして、山本氏に最後に質問をさせていただきました。「心のバリアフリー」を実現させるためにはどうすればいいのでしょうか?答えはこうだった。

「やはり触れ合う体験を持つこと。そして、知的障害のある人はどういうことか知ること。」

ノーマライゼーションねっとでも、自分達が開催するイベント言うことで、「ノーマライゼーションが必要な人とは?」みたいなイベントをすることが必須だと感じました。

電車の中での出来事

 かなり前の出来事です。お昼頃電車に乗っていると、電車の中で電車のドアを叩きながら、奇声を発している人がいました。彼は、耳に補聴器をつけていたし、何かの「障害」をもった人なのでしょう。彼はよほど何かが嫌で、早く電車を降りたかったのでしょう。奇声を発しながら電車のドアを叩いていました。

 電車のドアを叩いている間、電車の中にいた人は、ほとんどがチラッと見て怪訝な表情をして無視を決め込んでいた。もちろんぼくもその中の一人だ。彼は次の駅で降りた。車内はなぜかホッとした雰囲気に包まれた。

 ぼくはノーマライゼーションということに興味があるので、彼は何かが嫌で早く電車を降りたがっていて、ああいう行動になったという事は理解ができた。しかし、ぼくの取った行動は、一般の人が取ったそれと何も変わらない。そこにいたぼく以外の人は、全員ぼくがノーマライゼーションに関心があるなんてわからなかっただろう。

 ぼくはどういう行動を取ればよかったのだろうか?今も答えが出ていない。というか、こんなぼくがノーマライゼーション社会の実現という言葉を言っていていいのか?そういう思いまでしてきています。ぼくはもっと彼に対して何かしてあげることがあったのではないだろうか?周りの人に対して、彼は電車を早く降りたい理由があったと伝えることができたのではないだろうか?

あなたは何歳ですか?

年齢とはナンバーでしかない。14歳の年寄りもいれば、140歳の若者もいる。
年齢に一喜一憂してしまうのがひとの常。しかし、年齢なんてただの記号にしか過ぎない。
年齢を気にするよりも、自分の内面に目をむけよう。挑戦・希望・情熱・向上心・冒険心といったものが心の中にどれぐらい存在しているだろうか?それらがある限り、決してひとの精神は老いることはない。
いつまでも「若者」でいられるよう、自分の心のメンテナンスやリフレッシュを忘れずに。
http://vitamin.staba.jp/archives/000123.html
これを読んでなるほどなぁと思った。特に最後の文。
いつまでも「若者」でいられるよう、自分の心のメンテナンスやリフレッシュを忘れずに。
ぼくはインターンをやっていた関係かよくスーツを着ていた。
そのためか学校の友達にはよく「リーマン」(サラリーマンの略ね・笑)と呼ばれた。
それと同様によく「老けた。」と言われた。(最近は、もとに戻ったみたいだけど。笑)
そのときは、自分の心の気になる点(仕事や私生活)をそのままにしていて、いろんな失敗をしたし、ストレスを溜め込んでいて仕事がうまくいっていなかったところもある。
それでも、仕事ばっかりやっていたし、仕事さえやっていればいいと思っていた。
それをこの文章に当てはめると、
挑戦・希望・情熱・向上心・冒険心はもっていたが
自分の心のメンテナンスやリフレッシュをしていなかったいうことになるのではないかと思う。
「老けた」といわれた原因は、自分の心のメンテナンスやリフレッシュを行なっていなかった結果なのではないだろうか?
挑戦・希望・情熱・向上心・冒険心だけではなく、自分に対する思いやり、メンテナンスは
仕事を成功させたり、自分を成長させ、自己実現させていくためには重要なものであるのだ。
ぼくにはそこが欠けていたのだろう。
今後は、いつまでも、何歳までも「若者」と呼ばれるために、自分に対するメンテナンス、思いやり、リフレッシュも注目し、大切にしていきたいと思う。

平成の名経営者

今日の日経の一面に「平成の名経営者」についてのアンケート調査の結果がありました。
<平成の名経営者>
1.カルロス・ゴーン(日産自動車)
2.奥田 碩(トヨタ自動車)
3.御手洗 冨士夫(キャノン)
4.鈴木 敏文(イトーヨーカ堂)
5.永守 重信(日本電産)
6.小倉 昌男(ヤマト運輸)
7.金川 千尋(信越化学工業)
8.武田 国男(武田製品工業)
9.盛田 昭夫(ソニー)
10.孫 正義(ソフトバンク)
ぼくの注目は大好きな経営者、日本電産の永守重信社長です。

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人間を分けて考えるということ

 ぼくの大学の学部に4年生で車椅子で学校に登校している人がいます。ぼくは直接知り合いではないんだけど、車椅子で学校に登校している人はその人しか見たことないし、ちょっとした有名人です。

 で、友達からこんなことを聞いた。「その車椅子の人が企業に就職をしたいけど、『障害者』というくくりで採用されることがむかつくと言っていた。」と。本人とすれば、車椅子に乗っているだけで、他は他の人と何も遜色はない。企業側とすれば、障害者雇用促進法※があって、「障害」をもった人を雇用しなくてはいけない。そうすると、「障害」をもった人は当然「障害者」雇用になってしまう。「障害」をもった人の雇用を促進するための法で、自尊心を傷つけられている人もいる。なんと本末転倒か。そして、その雇用率さえ守られていない現状である。(しかも、障害をもった人を雇用すると給付金も与えられる。おかしな話である。)

 それは何が原因かと考えれば、やはり人間を分けて考えるという観点があり社会的にもその風潮が認められているということでしょう。その風潮をなくしていくために、ぼくらができることというのは、ぼくがいつも言っていますが、まずは「障害者」という言葉をなくしていこう。ということ。

 だから、ぼくは『「障害」のある人』と読んだり、書いたりしています。(それでも、嫌です。)しかし、世の中には、何と「障害者」という言葉が溢れていることか。「障害者」という言葉がなくなったときこそが、その社会風潮がなくなった時だしノーマライゼーション社会の実現だと思います。これを読んでくれた方々は、まずは、日々「障害者」という言葉を極力使わないように意識してほしいと思います。

 ※障害者雇用促進法:「障害」をもった人の雇用を促進するため常用就労者56人以上いる会社の事業者に対し「障害」をもった人の雇用率1.8%を義務付ける法律。現在の実雇用率は1.49%(平成13年度)である。その背景には、未達成企業も納付金という「お金さえ払えば、「障害」をもった人を雇用しなくてもいい」という感覚から抜けないからという会社もあれば、「どう雇えばいいかわからない。」という会社もあれば「その法律自体しらない。」という会社もある。