先日、「こんな夜更けにバナナかよの世界」に参加しました。「こんな夜更けにバナナかよの世界」の講演会とは、「こんな夜更けにバナナかよ」の著者、渡辺一史さんが講演していただけるという会でした。
話の内容は、「こんな夜更けにバナナかよ」をまとめたような感じで、非常におもしろかったし、非常に考えさせられました。
自然エネルギーの地産地消・企業だけに頼らない自然と調和した生き方を模索中
先日、「こんな夜更けにバナナかよの世界」に参加しました。「こんな夜更けにバナナかよの世界」の講演会とは、「こんな夜更けにバナナかよ」の著者、渡辺一史さんが講演していただけるという会でした。
話の内容は、「こんな夜更けにバナナかよ」をまとめたような感じで、非常におもしろかったし、非常に考えさせられました。
ぼくは、「障害者」と呼ぶ人がいなくなるためには、自分の障害に気付くことからはじまると思っています。誰でも協力して生きているし、そもそも「障害者」とは、周りの環境や制度、心のバリアーにより、相対的に作り出されたものなのであるという考えがあるからです。
朗報ニュース!5月4日付けの日経新聞の「経営の視点」という記事にユニクロの障害のある人の雇用についての記事があったようです。実家に帰っていたので、日経を読めなかったのですが、TamagoさんのBlogで発見しました。ちなみに、記事の要約は、メープルというサイトにありますので、ご覧ください。
そのなかでも、気になるのはやはり、
障害者がいると弱点を補い得意な点を伸ばそうと他の従業員の支援意識が強まる。その気遣いは顧客へのきめ細かいサービスにつながり集客力が高まる。
という点である。
修さんのBlogに「障害者」という表記の仕方について、議論されていたので、こちらにも書こうと思う。
個人的な意見ですが、呼び方は、言葉の裏に差別がなければ何でもいいのではないかと思っています。つまり、「障害」という言葉の裏に、「可哀想」などの差別的な意識があるのであれば、それは問題だと思うのですが、「犬」というのと同様に、残念ながら今の社会は「障害」、「障害者」という概念がある社会です。その社会で、一般の人、「障害」に興味のない人に、一体「障害」のある人を説明するときにどのように説明するのでしょうか?
コムケアの去年の助成金対象団体に最終報告書の作成をしなければならないということで、去年の助成金提供団体のピープルファースト東京が母団体のピープルファースト東久留米というところに取材に行ってきました。
ピープルファーストは、アメリカで生まれた活動である。1973年に知的障害のある人たちがオレゴンに集まって、どうやって地域で暮らすかについて話し合いがもたれた。このとき、参加者の1人が、
「知恵遅れ」や「障害者」ではなく、「私はまず人間として扱われたい。(ピープル・ファースト)」
と言ったことから、ピープルファーストという名前ができ、それが日本にも拡がり、知的障害のある人が地域で生活できるように支援していくという団体です。