自分の「強み」とは?

 皆さんは働く上で自分の強みがわかりますか?自信を持って、「私はこれができます!」と言えますか?最近、そんなことをよく考えています。

 別に悪循環はなくなったので、強みがないからと言って、落ち込むようなことはなくて、「どうにかなるだろう。」と超オプティミストなぼくは思うので、全然問題はないんだけど、夏くらいからETIC.の皆さんにも「強みは?」と言われ続けてきていた。ここでちょっと自分の強みを考えてみたいと思う。

 最初、ETIC.の人に「強みは何?」と聞かれた時に、「誰もやっていないことをやっていること。」と自信満々に答えた自分が今となってはアホみたいだが、「強み」とは、その分野で自分が「他の人には負けない。」とか自信を持って「これができる!」と言えることである。

 そういう意味で考えると自分はスキル的なものは何も持っていないことに気づいた。1年半インターンをやってきた自分でも自信を持って言えるものがないというのは、やはり就活してキャリアをつけるというのは非常に大切なことだと思ったが、やっぱり自分のやりたいことには、キャリアというものではなびかないなぁと実感している。

 大学4年間(まだ全て終わってないが)をそのキャリアを身につけるためにインターンなど、努力をしていたつもりだが、それらを通じて確かに考え方、価値観は変ったが、「強み」という部分では、身についていないと今実感している。今、大学の1年生?3年生は行きたい分野について「強み」をぜひ今のうちに身につけてほしいと思う。必ずそれが起業するにしろ、就活にしろ役に立つと思う。(う?ん、どれだけこの「強み」という部分が伝わるかなー。)

 そして、自分に話を戻すと、キャリアではないんだけど、自分の強みはなんだろうかと考えたときにやはり、言えるのは、知的障害(ぼくは知的障害とは思ったことはないが。)のある妹と一緒に育ったことによる、話の理解度の早さだろう。障害のある人の話を聞くとたいてい光景が浮かんだり、親身に話が聞けるし、非常に共感できる。障害のある人と一緒に生活したことない人が、「障害者支援をしたい。」と聞くと嘘っぱちに聞こえるのは、ここから来ているのかも知れない。

 そして、もう一つ考えられることは、通常の感覚を持っていること。つまり、福祉関係の人の考えは、工賃1ヶ月1万円以下で納得していたり、仕事の楽しみを教えなかったり、親が仕事場に介入など大人として一般常識で考えられていることを知的障害のある人は実現できないのです。それは周りの福祉関係の人がそういう環境で満足しているためです。

 しかし、ぼくはそういうことはなく、一般常識と見比べて「おかしいことはおかしい」と感じられるし、それが当然と思っているのである。実際に、勉強会でお世話になっている資生堂の小室淑恵さんは、

やべっちのよいところは、普通の大学生。普通の大学生がノーマライゼーションと言っているから共感できる。これが、変な考え方をしている人だったら、共感できない。

と言っていただいている。

 ただ、この2点はただの経験と感覚でしかないと思う。本当の意味での「強み」にはならないだろう。この経験と感覚を「強み」にしていくために、ぼくは以下のことをこれから自分の「強み」としていきたいと思っている。

1.障害のある人の仕事場作りを見てきた事例数では右に出ない。
(障害のある妹をもつ経験を生かし、共感できる仕事場作りを目指す。)
2.企業論理と福祉の両方の考えを持ち、パイプ役になる。
(一般常識と福祉の考えの感覚をつなぎ合わせる存在を目指す。)

 この2つがキャリアになり、仕事になると思っている。今後はこの2つを「強み」として自分の中に根付かせたいと思う。

 そして、まだ若い皆さん、自分の「強み」を意識して生活するのとしないのでは、数年後雲泥の差でしょう。ぜひ、自分の「強み」を得るように意識して生活してほしいと思う。お金稼ぐだけのバイトしている暇はないぞー。もっと他にやることがあるはず。意外とバイトしないでも生活できるもんやなぁと思う、やべっちより。(笑)

投稿者: やべっち

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コメント
個人的な意見として思うのは、本来的には「強み」というのは自分が「これこれこういうところが私の強みです!」と自覚したり、主張したり、ましてや言うようなものではなく、あくまでも他者、相手が「素敵だな」と感じるという只その一点においてのみ「強み」として作用するのだと思います。

下手に過剰な自意識が芽生えた瞬間、それはもう鼻につくだけで「魅力」でも「強み」でもなくなる、そんな気がするのです。

男でも女でも(女子の場合はよりその傾向が強いと思いますが)、社会という大きな単位のコミュニティの中で自己満足ではない、本当の意味で上に行きたいのであれば、「より上にいる人」にかわいがって(指導・保護して)もらい引っ張りあげて貰うということが絶対に必要不可欠になります。

もしも結果論的に、何かがその人の「強み」として人に映り作用したとしても、本人が自覚してよい「強み」というのは「一生懸命さ」若しくは「謙虚さ」くらいのものではないでしょうか。

若造の自覚するチンケな「強み」など、それと同レベルなモノを持つ人など、それこそ十把一絡げにいるのですから。

まぁ、これもまたあくまで個人的な意見に過ぎませんが。。。

投稿者:みひろ : 2004年10月17日 00:55

>みひろ

 コメントサンクス。こういう風にコメントをいただけると、こちらとしても文章で至らない点が発見できます。

 さて、本文ですが、単にアプローチの違いな気がします。みひろの考えは、「目の前のことを一生懸命型」でぼくの考えは「目標(強み)に向かっていく型」だと思います。

 つまり、両方一生懸命がんばるのですが、「目の前のことを一生懸命型」は、目の前のことをこなしていったら、結果として他人から評価がもらえた型。「目標(強み)に向かっていく型」は、目標を決めて、それに向かってがんばる型だと思います。

 だから、「目の前のことを一生懸命型」は「強み」などということは考えません。目の前のことで精一杯ですから。そして、「目標(強み)に向かっていく型」は、目標があります。だから、一生懸命です。目標があるから、簡単には満足したりしません。

 そういう意味では、この「目標(強み)に向かっていく型」は、常に努力をしています。(「目の前のことを一生懸命型」が努力していないという意味ではなく。)だから、相手が「素敵だな」と感じるし、上にかわいがってもらえるでしょう。もちろん、「目の前のことを一生懸命型」も一生懸命やっていますから、かわいがってもらえます。

 だから、単なるスタンスの違いでしょう。どちらがいいということはないと思います。自分のやりやすい方法でやればいいのではないでしょうか?極端なことを言えば、両方の型だといいですけどね。(笑)

 そして、

> 下手に過剰な自意識が芽生えた瞬間
> 若造の自覚するチンケな「強み」など

 ですが、若さがゆえに、努力しても、経験がないから、狭い視野で考えてしまって、自意識過剰な自己満に走り、自分に自惚れるのでしょう。井の中の蛙ってやつです。しかし、それはそれでいいのではないのでしょうか?「若さゆえの過ち」という言葉もあります。若いときはどんどん失敗していいのではないでしょうか?

 そして、その失敗を糧に何年後、何十年後にあの時は「若かったなぁ」と笑い飛ばせればいいと思います。ぼくは若い人(自分も若いですが。笑)は、そんな失敗をもっとするべきだと思っています。結果、その人がその失敗を生かせば、誰にも負けない経験になると思います。失敗は後悔より大分マシです。

 そういう意味では、みんなもっと自信を持つべきだとぼくは考えますがね。保守的になるなと。逆にぼくはもっと謙虚さが必要だと思っていますが。(苦笑)

 さてさて、本気で考えていたら、このコメントに1時間くらい費やしました。(苦笑)みんな、こんな突っ込んだコメント待っています!(笑)

投稿者:やべっち : 2004年10月17日 19:14

レスありがとう。

お粗末な文章力のため、少し誤解をされてしまったようなので、そこだけ説明させて下さい。

先ず私は、矢辺くんの言うような「目の前のことを一生懸命型」ではありません。
もちろん今現在のことは一生懸命やります。しかし、それは階段を作る工程と同じです。目標に届くより強固で確実な階段を作るために過ぎません。「目標に向かうため」に「今 一生懸命」なのです。

もちろん、私と矢辺くんの「目標」としているものの種類が違うのだ、と言われてしまえばそれまでのことなのですが。

それからもう一つだけ言わせてもらうと、
社会人において「謙虚」さというのは、「絶対的な自信」の裏返しであり、「保守的」とは全く異なるものであるということです。自分に自信のない人は謙虚にはなれません。また、現在の自分に満足している人もまた謙虚にはなれません。「謙虚さ」の欠けた人に成長はありません。ただ自己弁護の為の防御壁を作るための努力に必死になるだけでしょう。

私は失敗する為に現在を生きているのではなく、より高い確率で成功させることを意識して現在を生きています。

この3年間、学内・学外を問わず色々な活動をしてきてたくさんの壁と真正面から対峙し、乗り越え、時に横に並んでいたはずの戦友に先を越されたり、目の前で成功され栄冠を手に入れられたりした結果、私は「失敗してもいい」なんて嘘だ、と思うようになりました。
矢辺くんもご存知のことでしょうが、「思い切り打ちのめされるのもまた経験」と思っていたことでも、それまで自分と大差ないと高を括っていた相手に負けされ目の前で成功されたら、ハッキリ言って火が出るほど悔しいです。物凄く、腹の底から後悔します。「失敗しても?」なんて甘ったれたことは二度と、口が裂けても言えなくなります。「やる以上は成功するようにやる」それだけです。
「成功するまでやれば、それまでの失敗は全て”経験”と呼ばれるようになる」それもまた真実でしょう。
ですが、大金が動く社会において「自分のやりたいこと」に投資してもらうのに役に立つのは「成功した」という事実です。失敗経験は自分の役には立っても、人を説得する材料にはなりません。

矢辺くん的考え方にも身に覚えがあっただけに、少し熱くなってしまいました。
ごめんなさい。決して矢辺くんの考えを否定するつもりはないのです。純粋に自分を信じられるのはとてもいいことです。根拠のない自信があることは幸せなことです。
会社のなかに入り、その一員として働いていく私と、自分で会社をやっていく矢辺くんでは、これから全く違った人生を歩いてゆくのだと思いますが、私も頑張ります。矢辺くんも頑張ってください。

でわ。長々と失礼いたしました。

追伸:
最大の「強み」は常に最大の「弱み」でもある、非常に紙一重的なものだと思います。
個人的な経験上の話なので、矢辺くんに当てはまるかどうかは不明ですが。

投稿者:みひろ : 2004年10月18日 01:59

少しだけ、お話させてください。

> 私は失敗する為に現在を生きているのではなく、より高い確率で成功させることを意識して現在を生きています。

 自分ももちろんそうです。誰も失敗しようとして失敗するわけではないでしょう。ぼくが前のエントリーで失敗の勧めみたいなことを書いたのは、色んな人が失敗を恐れることなく、挑戦してほしいという思いからです。決して、失敗を勧める訳ではありません。

 あと、「保守的」ですが、特に意味なく書きました。そして、自信のある人しか謙虚になれないというのは、同感です。

そして、
> 「失敗してもいい」なんて嘘だ、と思うようになりました。

のくだりですが、ぼくは相手がどうとかは思わないようにしています。自分と他人を大差ないとは思いませんし、必ずどんな人にも自分よりも優れた点があると思っています。

 そして、他人が成功したとしても悔しがったりしません。結局、「他人の芝は青い」じゃないけど、その人にはその人のまた苦労があります。そして、腹の底から後悔したところで、その人と立場が逆転するわけでもありません。後悔するくらいなら、前に進むことを意識します。その方が精神衛生上も楽なのではないでしょうか?

> 最大の「強み」は常に最大の「弱み」でもある、非常に紙一重的なものだと思います。

ここはよくわからないなー。例え話があったら、わかりやすいんだけど。

投稿者:やべっち : 2004年10月20日 01:23

自分の強みってなんだっけ?と考えてしまいました。
確かに若い頃から、自分の強みは何かということを考えて生活するのと、しないのは雲泥の差だと思うよ。
私は強みと思ったことは無いけど、みんながノーマルに暮らせるには何が必要か考えて約20年が経ってしまった。でも、今考えると、経ってしまったのではなく、重ねてきたように感じています。いまだに答えは見つからないけどね。
重ねたことが強みになったような気がする。
今の年になって、地域活動2つも3つもやりながら、2人の子供を抱えながらでも何をやってでも、なんとか食べていける。それは、自分の思い込みを重ねるうちに必要なことがたくさん出てきて、それをクリアするために色々なことを学び、身につけてきたおかげかな?
色々なことをやるって大変だけど、自分の想いを叶えたいならしかたない。でも、それが強みになり、自分の生きる力になる。
自分の強みは若いうちは、=想いかもしれないね。それを知ることは、いつか本当の自分の強みにするためのプロセスであると、私は考えますよ。

(眠たくて、文章が変だったらごめんなさい)

投稿者:のりのり : 2004年10月22日 00:48

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