おれの青春の1ページでもある、マイケルが消えた。
マイケルといっても、マイケル・ジョーダンやマイケル・ジャクソンでもなければ、マイケル・オーウェンでも、マイケル・J・フォックスでも、ましてやマイケル富岡でもない。おれの中で、マイケルと言えば、実家の猫であるマイケル(しかしメス猫)である。そのマイケルが、2009年6月6日早朝死んだ。
小学校3年生から飼いだした時の年齢がおそらく3歳だろうと言われている。それから18年。21年も生きたと思われる。人間にして、100歳程度。大往生である。そんなマイケルが死んだのだ。
マイケルは、本当に物心ついたあたりからずっと一緒にいたので、存在して当たり前の存在だった。みんなのアイドルで、みんなの中を取り持ったこともあった。家族に不穏な空気が流れるときは、誰かが、
ね?マイケルちゃん!
と呼びかけ、喋れないことをいいことに、マイケルにヘルプを求めた。
自分がお腹が減っているときは、呼べばすぐ来るのに、全く何もないときは、呼んでも来ない。
冬に外に出たいからって、ドアを自分で開けて、閉めずみんなを寒がらせる。
夜中に外に出たいと鳴き続ける姿。
えさをやるところにじっと座ってえさを待つ姿。
コタツで寝ていると誰かの足があたって「ギャー」と鳴く姿。
全てが家族であり、おれの青春の1ページだった。
そんなマイケルが今日死んだのだ。
20歳以上も生きたと思われるのは、野良猫だったのに、異様に毛並みがよかったところから、きっとストレスがなかったのであろう。しかし、昨年末に実家に帰ったときは、オムツ姿のマイケルに少しショックを受けた。毛並みは以前のままなのに。
確実に近づくマイケルの「死」と月日の流れを感じた。
自分を振り返って「死」について考えると、小学生の時に父方のおじいちゃんが亡くなった以外に自分の身内が亡くなったという記憶がない。おかげさまで、実家のおじいちゃん、おばあちゃんは、病気にはなっているが、80歳を超えても農作業をやっている。自分の周りで「死」が現実として起こっていない。
しかし、確実に月日は流れている。自分も今年で27歳だ。
もし、自分が死んで、天国に行けて、マイケルに会ったら、マイケルは何と言うだろうか。
「つまらない人生だったな。」・・・・だろうか。
「かっこいい人生を生きたね!」・・・・だろうか。
それを決めるのはこれからの自分の生き方次第だ。
100歳を生きたマイケルに負けない生き方を絶対、必ずする。
それがマイケルへの恩返しだ。
待ってろよ!マイケル!
それはつらいね・・・
きっと、天国でやべっちを見守ってくれるはずよ?!
私にも小学生の頃から飼っていたわんこがいました・・・
そいつがいなくなった時せつなかったです。
今もきっとマイケルはそばで見守ってくれてると思います!!
> ティッピー
早速コメントありがとう。
見守ってくれてるといいんだけどねぇ?
なんせリベラルな猫だから、
天国でも餌がほしいときくらいしか寄ってこないのではないかと。(笑)
> のーり
せつないよねー。
おれ、この文章書きながら泣いたもん。笑