先日、人事担当の方とお話していた時に出てきた質問。
特例子会社を検討したいと思っているが、特例子会社を作ると障害者を一か所に集めている、という批判があるという声を聞いた。実際のところどうなのか?
※ちなみに、特例子会社とは、障害者を採用するために作る子会社で、親会社、グループ会社を含めて障害者雇用率をみることができるという制度です。例えば、簡単に言うと、親会社が1000名だと、雇用率は1.8%なので、18名採用しなくてはいけないが、特例子会社で18名採用すれば、親会社が0名でもOKという制度。
で、話を元に戻すが、この人事担当の方のお話は、この会社がどうのこうのということではなく、障害者雇用における問題点がはらんでいると考えている。問題点とは、「障害者」という言葉で「障害者」をひとくくりにしていることだ。
皆さんは、「障害者」と聞くとどんなイメージを持つだろうか?車いす?知的障害?うつ?できない?理解できない存在?
そう。それだけ、「障害者」という言葉が持つイメージは幅広いのである。今回のケースで言うと、「障害者を一か所に集めることは悪か?」という話であるが、その「障害者」とはどのような障害者なのであろうか?
特例子会社で働く障害のある方は、知的、精神障害や身体障害でも重度の方が多いが、なかなか一般企業で働くことができない前出のような障害のある方を採用している特例子会社は「悪」かというとそうではないでしょう。そもそも働く機会がなかった障害のある方の働く場を提供しているので。
しかし、健常者と同様に働ける・働きたい人材を特例子会社に「障害者」ということが理由で押し込めているのであれば、それは「悪」である。
その「特例子会社を作ると障害者を一か所に集めている」と批判した方の「障害者」という言葉に込められた人材イメージはどんなものであろうか。
「障害者」とひとくくりにするのではなく、まずその「障害者」とはどんな方で、どんなニーズがあるのか。障害のある方それぞれの個別のニーズをしっかり捉え、我々はどんな障害のある方のサポートをしたいのか?どんな障害のある方のよき認知を広げていきたいのか?
我々も含めて、今この業界は「障害者」とひとくくりにするのではなく、個別のニーズをしっかり捉える課題を与えられていると思う。
キーワードは「社会(公共圏)への参加」
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