先日、Twitterなどでこんなことを書いた。
「会社を作る」と一言しか伝えていないが、親父が会社設立後の手続き一覧や自分の会社の定款を送ってくれる。親ってスゴいな。気持ちがありがたい。この気持ちを次は自分が皆さんにわけていきたい。
しまいには、自社の社訓まで送ってきた。が、それが素晴らしいので共有したい。
先日、Twitterなどでこんなことを書いた。
「会社を作る」と一言しか伝えていないが、親父が会社設立後の手続き一覧や自分の会社の定款を送ってくれる。親ってスゴいな。気持ちがありがたい。この気持ちを次は自分が皆さんにわけていきたい。
しまいには、自社の社訓まで送ってきた。が、それが素晴らしいので共有したい。
ここ数ヶ月、司馬遼太郎著「坂の上の雲」を読んだ。明治人の気質と官僚政治の腐敗からロシアの敗戦から太平洋戦争への伏線が書かれていて非常に興味深かった。それと共に、明治人の滑稽なまでの楽観主義がまぶしかった。それはこの一文に集約されている。
明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
この本を読む限りでは、明治人の多くは、もちろん様々な悩みがあったとは思うが、嫉妬してしまうほど、全般的には楽観的であり、底抜けに前向きである。
その後の昭和という時代も経済成長を遂げ、欧米に追いつけ追い越せで正しかったかどうかは別として、その世代の人達には、「白い雲」がみえていたのかもしれない。
では、平成の時代を生きる我々にとっての「白い雲」とは何か。そして、それはどこで手に入るのか。そんなことを書いてみたい。
先ほどTwitterでこのようにつぶやきました。
前職で人事制度に関わった時に、労働法は「雇用主と搾取される労働者」構図が前提に作られている違和感があった。確かに歴史はそうだった。しかし、今も脈々と雇用主と労働者にこの考え方が形成されるのは問題。これからは雇用主と労働者が一緒に良いものを作る姿勢が大切。改めて労働法を調べてみる。
そもそもなぜこのように行き着いたか。前提条件が抜けていると思うので、つぶやいた流れで思うがままに書いてみたい。
6月から就労移行支援事業所で働くようになりました。そこでの私の役割は、日々訓練される方々をよりよい就職に導くべく、自分の魅力に気づいてもらったり、就職活動のイロハを身につけてもらったりすることです。
そのため、これから模擬面接をおこない、就職活動を進めていくにあたり、利用者の皆さんの心構えとして必要なことを考えてみました。まぁ、色々な心構えが必要なのですが、一番持っておいてほしいことは、「何のために働くのか?」という答えです。それがある人はぶれないので強いのです。そして、その答えについて、我ながら良い答えが見つかったと思っています。
そして、これは障害のある人だけに必要な考え方ではなく、どんな人にも必要なことだと考えているし、もし「自分は何のために働くのか?」わからなくなっている人がいたら、参考になればと思います。
Twitterから下記のようなご質問をいただきました。
福祉労働についてはいかがお考えでしょうか?
企業に就労してる障害者より何倍もの障害者が作業所や授産施設と言った福祉労働に従事してます。授産施設の工賃は月数千円であり年金がないと自立できません。
そして福祉労働は現在の法体系では正規の労働とみなされず労働法規も適用されません。メンバーは労働者ではなく利用者という扱いで「職業」にはなってません。
「障害者は企業で採用されないため福祉労働にしか居場所がない」というのも産んでます。福祉労働も施設ごとに考え方があり
1.障害者の居場所と働き場所
2.微々たる工賃と主たる年金で初めて自立できる場所
3.企業就労に向けての訓練の場所等々いろいろあります。
一方で福祉労働から企業就労にもそう簡単に繋がっていませんし、障害者自立支援法でなけなしの微々たる工賃が「利用料」で相殺され「働くのに利用料取られるのはおかしい」という声もあちこちで上がってます。
「企業に就労できない・居場所のない障害者は福祉労働で居場所と働く場所づくり」という構図に関し、福祉労働の意義とあり方・今後の方向性と法体系の整備について、ブログで取り上げていただきたく思います。よろしくお願いいたします。
ということで、私の考えを書いてみます。